ウズベキスタンから帰国

mayu332005-04-23


とにかくブルーな気持ちで帰ってきました。客が最悪だった〜。久々に胃を壊しかけてます・・。さらにやっと成田に到着してほっとしていたら、アフリカ人にケンカを売られる始末・・。いやなことって、続くもんだなぁ。いつもはのんびりと家に帰るのだけど今日はとっとと帰りたい気持ちになってスカイライナーでびゅうっと家路に着く。ま、いやな事は忘れるにかぎるわ。

・ヒヴァ
イチャン・カラ(内城)が世界遺産に登録されているのだけど、どこもかしこも土産屋ばかり。この後に行く3ヶ所の町すべてのモスク、メドレセはほぼ土産物屋が入っていて、さらにびっくり。博物館の監視委員まで土産を売っているのだ。世界遺産のありがたさが薄れていくぅ・・。まあ、町自体は土壁が印象的できれいだったけど。目印になるほど大きい未完成のミナレット「カリタ・ミナル」がきれいだった。
ーちゅうか、この日、実は朝の5時半にホテルを出発してタシケントからウルゲンチまで飛行機での移動予定だったのだけど、なんと!前日まで予約OKだった飛行機が急に小さな飛行機に変わってしまい乗れなかった・・!そんなんあり?!って感じだけど、乗れないものはいくらがんばっても乗れない。この国はこうなのだ。せっかく早起きしたのに飛行機に乗れないとわかり、一気にテンションダウンのお客たち・・。そこで、急きょバスを手配して、午前中はタシケント市内の観光に。しょっぱなから、こんな調子でスタートしたのでした。

・ブハラ
砂漠を8時間の移動でヒヴァからブハラへ。まぁ、砂漠といっても、ちゃんと舗装された道路があって、植物なんかもあって、一見砂漠といった感じではないのだけど。しかし、砂漠なだけにお店らしい所がほとんどない、イコールトイレをするところも限られてるということ。しかも、ウズベキスタンはトイレ事情が極端に良くない。トイレがあっても、もんのすごく汚く、ドアも仕切りもなく穴が開いてるだけ・・なんてところも。さらに息ができなくなりそうなほど臭いとくる・・。ここでするんだったら青空の下でしたほうがマシ・・なんてことも度々あった。
途中のチャイハナでお昼休憩をとったんだけど、昼ごはんを食べて、周りをプラプラしていると、小さな建物の中から窓越しに少年が「写真とって!」と声をかけて来たので裏へ回って建物の中に入ってみると、ナン焼き部屋だった。その部屋には彼のお母さんもいたので、一緒に写真を撮ってあげた。写真を送ることを約束して部屋を出たのだけど、一日をあの暑い部屋(小さな部屋にナン焼きの大きな釜がある為)で親子で過ごしているんだろうなぁ・・。小さいのにものすごくしっかりしていそうな少年だった。お母さんもとっても穏やかな顔つきの人だった。
ブハラに到着後はナディール・ディヴァンベキ・メドレセの中庭で民族舞踊を見ながらの夕食だったんだけど、一服しに外に出ると、少年二人が「写真とって!」と寄ってきた。仲良し二人組みは観光客相手にペンをもらったり、写真を撮ってもらったりするのが彼らの遊びの一環らしい。カメラを向けると得意げな笑顔でお互いの肩を抱きながらポーズ。覚えたてのアルファベットで一生懸命二人で相談しながら住所を書いていたのがかわいかった。(ウズベキスタンキリル文字を使うので、アルファベットは彼らには難しいのだ)
105段の真っ暗で狭くて急な階段のカラーン・ミナレットにも登ってきた。初めての国や町にきたら、やっぱ高いところから眺めてみないとね。アルク城では、調子もいいがとっても親切な土産屋とアクセサリ売りのかわいい女の子と警官という、なんだかとんちんかんな組み合わせで一緒に写真を撮ったりもした。とにかく、こちらの人たちは写真を撮られるのが好きらしい。

サマルカンド

グリ・アミール廟のティムールのお墓には「この墓を開けたら、世界は私よりも恐ろしい
者によって破壊されるであろう」というような事が記されているらしいのだけど、昔、ソ連の考古学チームがこの墓を発掘して開けたところ、その数分後に第二次世界大戦が始まったそう・・・。それ以来、このお墓は開けられていないとの事。怖い・・。
楽しみにしていたシャーヒ・ズィンダ廟群は工事中で情緒がなかった。残念。この廟群の中にある階段は降りるときと登るときに数を数えて一緒なら天国へ行ける(日ごろ良い行いをしてる)という言い伝えがあるらしい。